病気やけがを治療する時、輸血が必要となるケースが多くありますが、輸血に必要な血液製剤は、「献血」により作られています。献血とは、個人の意志で、輸血を必要とする不特定多数の患者のために、自分の血液を提供することです。「献血の歴史は輸血の歴史」と言われるように、献血と輸血の歴史は深く関係しています。
世界の輸血の歴史
子羊の血で成功した世界初の輸血
記録に残っている歴史としては、1667年にフランスで子羊の血を使った輸血の成功が、世界で初めての人に対する輸血です。その後は、輸血の研究や試みを長年にわたって行っていましたが、患者が死亡してしまうことが多く、治療として不可能な時代が続いていました。
ABO式血液型の発見と抗凝固剤の開発
そんな中、1900年にオーストリアの医師ラントシュタイナーによって、ABO式血液型が発見されます。これは輸血時の副作用や死亡事故を減らす、画期的な発見となりました。その後1914年に、アルゼンチンの医師アゴーテが血液の抗凝固剤を開発したことで、血液の長期保存や大量輸血が可能となり、一気に輸血の歴史が進んでいきます。
日本の輸血の歴史
日本の輸血の始まりは?
さて、日本の輸血の歴史はいつから始まるのでしょうか?1930年(昭和5年)、日本の当時の首相が、東京駅で暴漢にピストルで狙撃されるという事件が起きました。この時に、輸血によって首相の生命が救われた事がきっかけとなり、輸血が一般的に行われるようになりました。
日本の献血の歴史の始まり
日本で初めての血液銀行が開業
しかし、当時の輸血法は血液の安全性に問題があり、1948年に輸血による梅毒感染という事故を起こしてしまいます。そこで、本格的な血液事業に取り組む必要に迫られ、1952年(昭和27年)4月10日、日本で初めての血液銀行(現赤十字血液センター)となる日本赤十字社東京血液銀行が開設されることになったのです。
血液を売る人たち
血液銀行が開業されたとは言え、当時の日本では、民間の事業者がお金を払って血液を買い集め、病院に売っていました。自分の血液を売る人々の多くは、定職に就いていない人たちで、その日の生活費を得るため血液を売る人が増えていきました。
そして、ひと月の内に何度も売血する人が出始めたため、健康とは言えない血液から作る製剤の品質や、生命維持に必要な血液を売買することについての倫理観が社会問題となっていきました。
赤十字血液センターの解説により整った日本の血液事業
1964年(昭和39年)の8月21日、「輸血用血液を献血により確保する体制を確立する」という閣議決定がなされ、ここでようやく、今日の日本の献血制度が整うことになったのです。現在は、日本赤十字社が、国や地方公共団体と連携しながら、献血などの血液事業を行っています。
まとめ
現在、輸血用血液製剤を支える献血を行っている人の約7割は50歳未満の人々です。16~50歳くらいの世代の健康な人々が中心となって輸血医療を支えており、そのお陰で、血液を必要とする多くの患者さんが、日々救われているのです。